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最高裁判所第一小法廷 昭和60年(オ)1274号 判決

主文

一  原判決及び第一審判決中上告人敗訴部分を次のとおり変更する。

1  上告人は、(一) 被上告人山田フク、同山田敦子、同石川道子、石川径及び同石川葉子を除くその余の被上告人らに対し、各金二万円及びこれに対する昭和五六年三月一日から支払済みまで年五分の割合による金員、(二) 被上告人山田フク及び同山田敦子に対し、金二万円及びこれに対する昭和五六年三月一日から支払済みまで年五分の割合による金員、(三) 被上告人石川道子、同石川径及び同石川葉子に対し、金二万円及びこれに対する昭和五六年三月一日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  被上告人らのその余の請求を棄却する。

二  訴訟の総費用は、これを三分し、その二を上告人の、その余を被上告人らの各負担とする。

理由

上告代理人清川光秋の上告理由第二について

一  原審が適法に確定した事実関係は、次のとおりである。

1  小学校におけるいわゆる通知表(以下「通知表」という。)は、法定表簿ではないが、学校が児童の学校生活の状況を保護者に知らせて家庭との連携を図り、教育を効果的に行うため、各学校において児童の発達段階や学校の実情等を考慮し適切な記載内容を定めることが必要であるとされており(文部省初等中等教育局長通知)、通常は、一学年分の表簿とされ、各教師において各学期の終了前に指導要録及び成績一覧表に基づいて記入し、評定上の偏り及び表現上の過誤等を校長が査閲して決裁した上、終業式当日に各担任教師から児童を通じて各家庭に配布される。

2  長崎市内の公立小学校において、通知表の様式及び評定記載方法をめぐる論争が展開され、昭和五三年度の第一学期に一部の学校において三段階絶対評価方式を五段階相対評価方式に改めたのを契機とし、これに反対する教師が終業式当日に通知表を児童に交付しないなどの混乱を生じ、昭和五五年の第一学期には両方式を併用した長崎市小学校校長会作成の通知表の新様式(以下「校長会案」という。)が三二校で採用されたが、うち二十数校の担任教師が到達度評価欄の記載方法について反対し、第一学期及び第二学期の各終業式当日に一部の学校で通知表が児童に交付されない事態に至り、昭和五六年一月の第三学期開始時になお七校五六クラスで交付されなかった。

3  被上告人ら(被上告人山田フク及び同山田敦子につき訴訟承継前の第一審原告山田安美を、被上告人石川道子、同石川径及び同石川葉子につき訴訟承継前の第一審原告石川清を指す。以下同じ。)は、長崎市内の公立小学校に勤務する教師であるが、長崎県教職員組合(以下「組合」という。)に所属し、校長は各教師の教育活動について指示権を有するものではないとの立場に立ち、その各勤務先学校において、昭和五五年度の第二学期に、校長会案に反対して通知表を各校長の指示どおりに記入せず、その決裁を得られないため児童に交付しなかった。

4  この間、右のような事態が長崎市内の教育関係者のみならず一般市民の間でも大きな関心事になっていたところ、かねてより教育問題等について言論活動をしていた上告人は、自己の収集した資料に基づき、被上告人らが右のとおり通知表を交付しなかった事実を確認し、これが組合の指示の下に組合に所属する教師が学校当局に対して行う抗争であるとの認識に立ち、昭和五六年二月初旬ころ、長崎県教育正常化父母の会なる実体のない団体の作成名義をもって「父母の皆さん、そして市民の皆さん」と題する第一審判決添付別紙三のB四版大のビラ(以下「本件ビラ」という。)約五〇〇〇枚を作成した上、これを被上告人らの勤務先学校の児童の下校時に手渡し、各校区内の家庭の郵便受に投函し、更には長崎市内の繁華街で通行人に手渡して配布した(以下「本件配布行為」という。)。

5  本件ビラには、通知表の交付をめぐる混乱の経過、通知表の性格、被上告人らが校長会案に反対して各勤務先学校の校長の決裁を得られない状態にあったことなどについて上告人の立場からする詳細な記述がされている一方、その本文中において、「教師としての能力自体を疑われるような『愚かな抵抗』」、「教育公務員としての当然の責任と義務を忘れ」、「お粗末教育」、「有害無能な教職員」等の表現が用いられ、本文に続く「通知表問題でわかった有害無能な教職員の一覧表」と題する一覧表に被上告人らの各勤務先学校名・担任クラス・氏名・年齢・住所・電話番号が個別的に記載された。

6  被上告人らは、本件配布行為ののち、担任クラスの児童、その父母及び隣人等から本件ビラの内容につき質問や誤解を受けて困惑し、中には、深夜等に非難攻撃の匿名電話や嫌がらせの無言電話が自宅に繰り返し掛かり、「無能先生は再び氏名公表」などと印刷した差出人名のない葉書が舞い込み、勤務先学校及び自宅付近で右翼団体の宣伝カーのスピーカーにより氏名等を連呼され、家族に対してまで非難の宣伝をされた者がおり、その余の者も、右事実を知り、同様の攻撃を受けるのではないかと落ち着かない気持ちで毎日を送った。

二  原審は、右事実関係の下において、(1) 本件配布行為は被上告人らの社会的評価を低下させる行為に当たる、(2) 本件ビラの内容は、公共の利害に関するものではあっても、被上告人らが組合員であるとの一事からその人格攻撃にまで及び、いわば架空の団体名義を用い、組合所属の教師に対する反感ないし敵意の表出として専らこれを揶揄誹謗するものであり、上告人において被上告人らと立場を異にする側からの非難攻撃を期待していたのであるから、専ら又は主として公益を図る目的に出たものとはいえない、(3) 公務員である被上告人らが校長会案に反対して各校長の決済を得られない状態にあったとする点は事実に合致するが、これにより職務命令違反が成立するとしても、校長の職務権限及び教師の教育活動についての見解の相違に基づくものであり、組合の組織的統一行動ではなく、被上告人らが有害無能な教職員でその教育活動の内容が粗末であるともいえず、事実の証明がないことに帰するから違法性は阻却されない、とした上、名誉感情及び社会的名誉の侵害並びに非難攻撃等による精神的苦痛に対する慰藉料各一〇万円及びこれに対する不法行為より後の昭和五六年三月一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払と長崎市内において発行される長崎新聞の社会面広告欄に謝罪広告を一回掲載すべきことを求める被上告人らの本訴請求につき、上告人に対し慰藉料各五万円及びこれに対する右遅延損害金の支払と使用文字等を申立より小さな仕様による右謝罪広告の掲載を求める限度においてこれを認容すべきものとしている。

三  しかしながら、上告人の名誉侵害の不注行為責任を肯認した原審の右判断は、にわかに首肯することができない。その理由は次のとおりである。

公共の利害に関する事頂について自由に批判、論評を行うことは、もとより表現の自由の行使として尊重されるべきものであり、その対象が公務員の地位における行動である場合には、右批判等により当該公務員の社会的評価が低下することがあっても、その目的が専ら公益を図るものであり、かつ、その前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉侵害の不法行為の違法性を欠くものというベきである。このことは、当裁判所の判例(最高裁昭和三七年(オ)第八一五号同四一年六月二三日第一小法廷判決・民集二〇巻五号一一一八頁、昭和五六年(オ)第六〇九号同六一年六月一一日大法廷判決・民集四〇巻四号八七二頁、昭和五五年(オ)第一一八八号同六二年四月二四日第二小法廷判決・民集四一巻三号四九〇頁)の趣旨に徴して明らかであり、ビラを作成配布することも、右のような表現行為として保護されるベきことに変わりはない。

本件において、前示のような本件ビラの内容からすれば、本件配布行為は、被上告人らの社会的評価を低下させることがあっても、被上告人らが有害無能な教職員でその教育内容が粗末であることを読者に訴え掛けることに主眼があるとはにわかに解し難く、むしろ右行為の当時長崎市内の教育関係者のみならず一般市民の間でも大きな関心事になっていた小学校における通知表の交付をめぐる混乱という公共の利害に関する事項についての批判、論評を主題とする意見表明というべきである。本件ビラの末尾一覧表に被上告人らの氏名・住所・電話番号等が個別的に記載された部分も、これに起因する結果につき人格的利益の侵害という観点から別途の不法行為責任を問う余地のあるのは格別、それ自体としては、被上告人らの社会的評価に直接かかわるものではなく、また、本件ビラを全体として考察すると、主題を離れて被上告人らの人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱しているということもできない。そして、本件ビラの右のような性格及び内容に照らすと、上告人の本件配布行為の主観的な意図及び本件ビラの作成名義人が前記のようなものであっても、そのことから直ちに本件配布行為が専ら公益を図る目的に出たものに当たらないということはできず、更に、本件ビラの主題が前提としている客観的事実については、その主要な点において真実であることの証明があったものとみて差し支えないから、本件配布行為は、名誉侵害の不法行為の違法性を欠くものというベきである。

してみると、被上告人らの本訴請求中、上告人の被上告人らに対する名誉侵害の不法行為責任を前提として新聞紙上ヘの謝罪広告の掲載を求める部分(慰藉料請求に関する部分については後に判示するとおりである。)は、失当として棄却すべきものである。したがって、原判決中、右請求部分につき一部認容した第一審判決に対する上告人の控訴を棄却した部分には、法令の解釈適用の誤り、ひいて理由不備の違法があるものというべく、右違法が判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、この趣旨をいう論旨は理由がある。

同第一について

上告人の本件配布行為ののち、被上告人らの中には、電話、葉書、スピーカーによる嫌がらせや非難攻撃を繰り返し受け、家族に対してまで非難の宣伝をされた者があり、その余の者も右事実を知り同様の攻撃等を受けるのではないかと落ち着かない気持ちで毎日を送ったことは前示のとおりである。被上告人らの社会的地位及び当時の状況等にかんがみると、現実に右攻撃等を受けた被上告人らの精神的苦痛が社会通念上受忍すべき限度内にあるということはできず、その余の被上告人らの精神的苦痛も、その性質及び程度において、右攻撃等を受けた被上告人らのそれと実質的な差異はないというべきところ、原審が適法に確定したところによると、被上告人らの氏名・住所・電話番号等を個別的に記載した本件ビラを大量に配布すれば右のような事態が発生することを上告人において予見していたか又は予見しなかったことに過失がある、というのであるから、被上告人らは上告人の本件配布行為に起因して私生活の平穏などの人格的利益を違法に侵害されたものというべきであり、上告人はこれにつき不法行為責任を免れないといわざるを得ない。ところで、被上告人らは、本件配布行為により名誉及び名誉感情と同時に右のような人格的利益をも違法に侵害されたとして、その精神的苦痛に対する慰藉料各一〇万円の支払を請求し、原審は、これらに対する慰藉料として被上告人らにつき各五万円を認容した第一審判決を維持しているが、上告人の名誉侵害の不法行為責任を肯認し得ないことは前記説示のとおりであるところ、原審が確定した前示事実関係に照らすと、被上告人らが上告人の本件配布行為に起因して人格的利益を侵害されたことのみによる精神的苦痛に対する慰藉料としては、被上告人らにつき各二万円が相当であるから、被上告人らの本訴請求中、慰藉料の支払を求める部分は、上告人に対し各二万円及びこれに対する昭和五六年三月一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容し、その余を棄却すベきものである。したがって、原判決中、被上告人らの右請求部分につき右金員を超えて一部認容した第一審判決に対する上告人の控訴を棄却した部分には、理由不備の違法があるものというベく、論旨は、この趣旨をいうものとして理由がある。

よって、原判決及び第一審判決中上告人敗訴部分を前記の趣旨に変更し、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条、九三条、九二条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤哲郎 裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 四ツ谷厳 裁判官 大堀誠一)

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